機械仕掛けのゲイ ―Out of Warranty―

人と親密な関係を築くのに不向きなゲイ、人よりも物質を愛してしまうゲイを自称するユーマの精神衛生向上のためのブログ。

洗濯から始めるブログ

ある日の晴天の休日の朝。

ここしばらく続いている快晴の空のもと、男やもめの溜まった洗濯物をせっせと干す男がいた。これが俺である。

 

まずは名前をつけねば。適当に、平成28年の新生男児命名ランキング3位の「悠真(ゆうま)」にでもしておこう。1位の「蓮(れん)」にでもしようかと血迷ったが、どことなくV系色がするし、格好良すぎて俺には到底合わない。2位の「大翔(ひろと)」も、字面的にポジティブ色が強すぎて、コレジャナイ感がする。

 

 で、「悠真(ゆうま)」の候補に流れ着いたわけであるが、「悠真」もどことなくイケメン的雰囲気を醸し出していて恐れ多いため、字を変え、「ユーマ」にでもしておこう。UMAではない、あくまでユーマである。

 

さて、名前もつけ終わったので、ブログを始めるにいたったきっかけを書くことにしよう。

 

時は平成不況も収束に向かいつつあった頃だった。

俺もうら若き10代、若葉のころだったわけだったが、当時はゲイゆえの、ご多聞に漏れない葛藤や苦悩を抱えていた。

 

中学生の頃だっただろうか、石川大我氏の『ボクの彼氏はどこにいる?』を、書店員と顔を合わせないで済むようにと、セブンイレブンの完全梱包で店頭受け取りサービスを利用して購入したことは今でも覚えている。

 

この本は石川氏の自伝的な本であり、石川氏がセクシュアリティを自認し、葛藤と苦悩に溢れた思春期を過ごし、その後ゲイとしての自己肯定感を得るにいたるまでの過程を描いたものである。

 

タイトルの『ボクの彼氏はどこにいる?』も、おそらく「『ボク』の『彼氏』」という言葉が両立することに強烈な違和感を喚起することを意図しているのであり、いささかセンセーショナルなニュアンスを帯びさせているのだろう。

 

しかし今では、「ボクの彼氏」と、週末のデートはどこに行こうか、記念日のプレゼントには何をあげようか、SNSに挙げるデート画像のチョイス、さらには同性結婚式には誰を招待しようか、と悩む人までいる時代になりつつあるようだ。

 

「彼氏」が今現在いない人でも、「相方」や「パートナー」をつくることがスタンダード化しつつあり、奨励さえされているご時世、「そもそもボクに彼氏がいて良いのか」という(かつての)世間体を慮った問いよりも、「どうすれば彼氏ができるのか」という当人の幸せを最大化するための問いに変わりつつあるのではないだろうか。

 

もちろん、過渡期ということもあり、全員が全員がそうというわけではない。

未だ家族や会社からの結婚に関する圧力が働き、かくいうユーマも、結婚し家庭を持つことを断念することへの未練がある。一方で、相方と二人、仲良く暮らすことへの憧れもある。

 

そんななか、このブログは一匹のユーマの話し相手、独白の軌跡になってくれればよい、ということで作ってみた。

 

今後はなぜ「機械仕掛けのゲイ」なんて言ってのけるにいたったのかも含めて、日々の雑感を綴っていきたいと思う。